1996
詩集『現れるものたちをして』より
「バス停」
流砂の上に 点
のように 沁みいる影があり
それは バス停なのである
どこから どこへ という標識は ない
ここでは 目的とか それから とか
なぜ とか
すべての 問い に 答えるもの も
いなければ
意味というものも
磨滅して 古い 辞書の中 もはや
ザラザラ と 石の舌だして 笑うだけ
(頭脳の中にもっていたちいさな部屋でさえ
あの風が どこかへ 飛ばしていった
からには もう……)
そういって
外に出る 自転車にのる が のっても
行く先というのがない だが 内側へ
引きかえすということも
そこも また ない行く先なのだ
バス停は ひょっとしたら 戸口にきて
たき火をしているかも知れない
バス停は ひょっとして イグアナのような
大きい 古代の眼をして 乗客を
みはっているかも 知れない
そこには 天使が子犬のように伏せて
眠っているふりをしているかも知れないし
姦淫することを怖れたばかりに青いアザに
なった姉のマリア また
悪魔にもなり得ない汗まみれの汚れた軍靴の
脱走兵 いや 堕天使たちがいて
バス停は それらを 眼のまわりを 流砂で
砂色に にじませながら みて いる
の かも 知れない 流砂の上の
点 で あるものよ
たしかに存在している その
幻の存在よ