1982
詩集『砂族』より

「砂族の系譜」

 リバーサイドには川がない
 一九一一年以来、リバーサイドの川は乾きっぱなしだ。一九八〇年夏、わたしは始めてリバーサイドに現れる。川が乾いて六九年目である。
 わたしはリバーサイドが沙漠への入口であることを発見する。と、わたしの内側から急速に砂族というスピリットが活気づき、でていくではないか、沙漠にむかい。
 リバーサイド、リバーサイドと呪文を唱え、急速に、砂族、愛すべき、あの乾いた砂粒でできたスピリットたちが、でていく、歩いていく、飛んでいく、沙漠にむかい。
 どこにいてもわたしの思考は沙漠、砂のある方へむかう。乾いた土地、乾いた熱い空気、太陽さえ、カラカラにノドをやかれてしまう土地にむかい、わたしの内なる砂族たちは急速に活気づき、リバーサイドに一滴も水がないことを発見するやいなや、快活に、口笛など吹き、踊りだし、裸足で沙漠にむかい、駆けだしていくのだ。
 するとわたしは、どんどん埋もれる。わが砂族におおわれた、私の記憶はすでに遠く何万年をさかのぼる。
 ここはキャリフォルニアのインディアン、ヤキ族たちの村落のある砂地か、それともサハラの沙漠か、オーストラリア中央部、ウルルの聖地の近くであるか、記憶さかのぼるほどにアイマイである。
 おそらくわたし自身が太古になり、眠っているらしい。わたしはタイコの音で、幾度か呼びおこされるが、わたしはわたし自身が砂なる大地になり、眠っているので、容易にこの眠りからさめようとしない。
 リバーサイドには川がない。ドライ・リバーサイド、一滴の水もない沙漠の入口であるナゾの土地よ。なぜ入口であるか、なぜ出口ではないのか、沙漠は入口にみちていて、どこにも出口はない。
 沙漠とは、はいるところである
 はいるものを、こばまぬところである
 そして入口は、更に奥なる入口を呼ぶのだ
 奥へ、奥へと


 わたしの砂族なるスピリットは果敢である。果敢な戦士であるからして、沙漠にむかい、一旦砂かぎつけるとそれにむかって疾走するが、それがなぜであるかなどわかるものか、それは狂気でも覚悟というものでもなく、本能なのである 戻っていくのである。
 わたしの内側より本来の巣へむかい、野獣のように鳥や魚のように戻っていく。それら砂族なるスピリットのいっせいにはばたき走る音が、熱い午後には聴こえる 肉眼で
 みえないがみえる ポエジーより太い 遙かに太い 大きな川であるからには
 川のかたちした幻影のパワーであるからには


 *
 数年前 サハラへ足を一歩入れた途端 黄色いキナコより木目のこまかい砂粒 たちまち巨大な砂壁となり空をおおい 太陽を隠した 太陽も地球も青空も 何もみえなかった黄色い砂塵の中に ようやく わたし自身が五千年前の方からスフィンクスとなり おきあがるのをみた わたしはわたしをみたのである 五千年の一瞬である その関係はわからない スフィンクスとわたしの間の謎は とけないままサハラから東京へ戻ると わたしの思惟の内側は 黄色い砂嵐がたえずたつまき それらは砂の言語となり わたしの寝室や 詩の上に 時折 こぼれおちた


 *
 ナイル川を上へとのぼるほど太陽は近くなり アフリカは深く濃くなる
 遂にアスワンで下エジプトの黄色い砂たちは完全にピンク 黒い岩肌はクロコダイルになり 大ナイルの海から顔を出すとピンクの砂たちとたわむれるのだ
 太陽は死よりも熱く 言語たちは化石になり 人間たちは 沈黙の固い影となり 時折ピンクの砂の上をよぎった
 この風景を思い出すたび わたしの内側ではピンクの砂が熱い声をあげ 鰐のように さわぐのである


 *
 太平洋中央に 黒い精霊の小さな島があり そこでは一年じゅう雨が降りつづけ 太陽をみるのは稀であった
 三日三晩ふりつづける雨の中で わたしのみたものは何か 黒い岩たち黒い森たち黒い木たち 精霊たち 悪霊たち 霧たちの向う 突き出た黒い岩たちと海の間に帯状に光り走る砂浜である
 黒い砂たちは雨と波とで眼を濡らしつづけ光らせつづけ言語を忘れていた わたしの内なる砂族たちは 内界で身をすりよせあいながら これをみた 視るという行為が 一体何であり得ようか


 *
 東京 地下鉄入口に入ろうとするところでオレンジの一粒の砂に逢った それは早口でわたしの耳許を走り抜ける あのウワサというものに似ていた
 わたしは蝶の収集家のように 今では砂たちの狩人だ というのも わたしの内側に いつのまにか砂族たちが住みつき 砂の王国というのを つくり始めているから
 わたしは彼らの命ずるままに 一旦 砂の匂を嗅ぐと 急に全身活力に充ち 砂狩りにとでかけるのである
 オレンジの砂もとめて 旅は南へ 南へとむかう
 南半球大陸の中央部にオレンジの砂たちは住んでいた
 ウルル またはウルルル これは砂語であり 呪文である 砂の中央聖なる赤い岩山への 鳥たち トカゲたち 樹木たちの 祈祷のコトバである
 とデイジュリデュをふくアボリジニの若者はこたえた オレンジの砂たちは 尚も わたしをいざない アボリジニたちの 五万年前の呪文の方へと 招く
 そこは どこであるか わが砂族たちの スピリットが それぞれ裸になり 裸足で オレンジの砂ふみ ウルルの岩山にむかって歩く




 *
青空である
わが砂族たちは 今日 すべて
わが内側に集まり 用意をしている
何の用意であるか知らないが
砂族たち それぞれ異る砂の言語の土地にむかい 砂通信を始めようとする 彼ら
砂族たちはかつて同一言語で 同一のスピリットの所産であったと 思いこんでいるようだ
であるから ノド許からナダレをうつ時の音は似ている
また 人間がノドが乾き 水を求める時ほど より繁殖する性質もある
砂族たちは わたしが乾きをおぼえるのをすみやかに察知する
そして 沙漠の方へ と わたしをいざなうのだ
沙漠とは 豊饒な海 緑地ではないか
スピリットたちの樹木 果実 たわわにみのり 大きく育つ 幻の真実のオアシスであるならば


ひとびとはパームスプリングへと行く
行きたがる
沙漠のほかには何もない
パームスプリングへ
墓をつくるためにではなく
栄光のあとの休息のためか
快楽のためか知らないが
パームスプリングには
スピリットもたぬ人間たちすら
車を飛ばし ヒコーキを飛ばし
東から 北から やってくる
沙漠とは
寝室なのか
居間か
書斎か
プールつきの庭か
知らないが
キャリフォルニア沙漠の
南の方に
人間たちが半分 背中に羽をつけてやってくるパームスプリング
という土地がある
人々は死ぬ
日々に死ぬ
人々は生まれる
日々に生まれる
パームスプリングで
夕陽がノドを 赤くつまらす


わが砂族たちはパームスプリングにいかない
わが砂族たちは 六月二十三日あるいは
七月二十日のリバーサイド
または数年前のカイロ ギゼの沙漠の傍にいる
またウルルにいる
数ヶ月前も 今も わが砂族たちは
赤い岩山がウルルルと呪文をとなえ
たえず 赤から オレンジ オレンジからライラック色へと変貌するあの岩山の
五万年むこうから
歩いてくるものたちを 待ちうけている


砂 砂族たちの正体は今のところ
明らかではない
わたしの中に住んでいるスプリットの先についている物質なのである
微笑なので つまみだすことはできない
彼らは 砂をみるごとに増殖し
しだいに 砂の領土をふやそうとする意志をもっている
が 無差別ではない
彼らは選択することを知っている
砂族たちは 実に誇り高い 幻でできている種族なのだ そのために無になることはない


 わたしの内側で彼らが何をたくらみ 次には どこへ仕掛にいくのか知らないが ああ リバーサイドで わたしは彼らの 実に美しい奇襲をみた 次々とわたしの内側より活気をおび 外へと飛び出て 古代アステカまで走っていくかと思うほど彼らは 希望にみちているのだ 全く奇なる柔らかく暖かく熱くゾッとする音楽のような 生理的快感をくすぐるような 神聖且つ猥雑な願望を抱き 欲望を抱き 何者かへと むかっているのだ
 わたしは わが砂族たちに餌を与えるために時折 充分睡眠をとり ポエジーをにぎり殺すのだ